『 当事者としての私 』 ②


(つづき)


私は自分の限界を超える経験をしてきましたが、それでも良かったこと、その経験から身についたこともあります。どんなに絶望的な状況でも、自分は生きてこられたし、これからも何とかやっていけるだろうという感覚を、身に着けることができたことです。それは私に特別なことではないと思います。だから私には、「不登校」というのはそんなに特別な状況とは思えなくなりました。そこが子どもたちと関わる中で、私の良かった点だと思います。私は「不登校」という言葉やその状態を、ほとんど意識せずに過ごしてきました。「かわいそう」と思ったことがありません。だからこそ、子どもたちと対等な関係を自然に作ることができたのだと思います。学校に行かなくても学べるし、遊べるし、友人も作れるし、自分自身であることができます。それは当たり前のことのように私には思えるのです。


学校で3年ほど働きましたが、全体的に見て「生徒も先生もしんどい状況」という印象を受けました。学校とはいったい誰のためにあるのだろうという素朴な疑問が出てきます。「社会にもまれても平気なように」という考えを時々聞きますが、私には本末転倒の歪んだ考え方のように聞こえます。「荘子」に、私の好きな話があります。「泉の水が涸れてしまったとき、魚たちは干上がった土の上に集まって、互いに湿った息を掛け濡らし合い、助け合うそうだ。それは美談のように見えるかもしれない。しかし大きな川や湖の中にいて、魚たちそれぞれが悠々と泳いでいる方が遥かによい」私たちは、美談を作るために苦しまなくてはならないことはないはずです。今、必要なのは息を濡らしあうことではなく、泉に十分な水を張ることではないでしょうか?


私の場合、高校を卒業した後の話になりますが良かったことの1つとして、両親と離れて過ごす時間をたっぷりと取れたことがあります。三重シューレの新しいキャッチコピーは「いっしょに生きる・『個』で育つ」です。その言葉のように、自分の「個」に向き合い、「個」としての自分から、自分自身、社会や世界、人生を眺めることができたということです。親や学校、社会の価値観に汚染されていない、私自身の思いで探し求め、作ってきた価値観です。大人になってから「あなたはもう、私の知っているあなたではないのね」と、母親に言われました。少し寂しそうな母親に、「きっとその通りだし、もう昔の自分には戻れないと思う」と私は答えました。こうやって文章にすると少し笑ってしまいそうですが、こんなドラマみたいな会話が本当にありました。


一方で、居心地は最悪でしたが、いつでも帰れる場所として実家があるというのは、ありがたいことでした。「いつでも帰れる」そして私にはできませんでしたが「安心して過ごせる」ということが、子どもにとって最も必要な家庭の役割で、その他は2番目3番目なのではないかと私は思います。特別な事情がない限り、あとは本人のほうで何とかできる(人に助けを求めることも含めて)と私には思われます。私は自分を取り戻すのに、10年近くの歳月を必要としました。もし私に安心できる居場所があったなら、そもそもあんな辛い経験をせずに済んだかもしれないし、たとえ経験していたとしても、そのための時間をずっと短縮することができただろうと思います。


三重シューレで子どもたちがそれぞれ育っていく中で、私もともに、私でいられる経験をさせていただきました。まさに「いっしょに生きる・『個』で育つ」時間を過ごさせていただきました。本当に幸せな10年間でした。私が人生の次の局面に向かうのも、この納得の時間があるからです。三重シューレは、子どもたちだけでなく、私にも必要な場所でした。


この10年間、関わってくれた子どもたち、スタッフのみなさん、保護者の方々、三重シューレを応援していただいた方々に、心より感謝いたします。ありがとうございました。


スタッフ 辻 忠雄

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