『 当事者としての私 』 ①


会報NO.26ができました!
今回の会報の中に、今年の3月まで三重シューレが出来てからずっとスタッフとして仕事をしていた「辻さん」が書いた「当事者としての私」が載っています。
たくさんの人に読んでいただきたいと思いますので、このブログに2回に分けて転載いたします。
三重シューレにいる大人たちは子どもたちと対等な関係を作っていきたいので「先生」ではなく「スタッフ」という名称です。
実際は「・・・さん」と呼ばれることが多いです。
そして、スタッフ同士・子ども同士、子どもとスタッフはお互いを認め合う仲間であると思っています。
三重シューレを巣立っても、大切な仲間です。

(いしやま)


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『当事者としての私』


 スタッフ 辻 忠雄


三重シューレで子どもたちと過ごして10年と数か月。最初はほとんど何もなかった部屋で、声がよく響いたのを覚えています。徐々に子どもたちの活動が充実し、機材も増えていきました。今、みんなで自由に使っている机や畳の間、パソコン、楽器なども、10年の積み重ねの中で、みなさんのご協力をいただきながら備わってきたものです。自分たちで居場所を作り、活動を決めていく・・・すべてが揃っている学校とは全く違う環境の中で、子どもたちは育ち、私自身も育って参りました。


私は今年度いっぱいで三重シューレを退職させていただくことになりました。フリースクールでの仕事はとても楽しく、魅力的です。子どもたちが自分の選択で育っていく姿を見られるのは、何事にも代えがたい経験でした。退職させていただくのは、これからの人生で、また新しい夢に向かいたいという思いからのことです。


私は不登校を経験していませんが、学校生活でたいへん苦労したという意味では当事者の一人として見ることができます。子どもの頃、重い自律神経失調症を患い、本当に辛い経験をしました。「学校が火事にならないかな?」とか「このまま眠ったまま死ねないかな」など、不登校の子どもたちが思うことは、私も一通り考えました。


私は、教師が望むような模範的な生徒だったと思います。そして学校は「がんばれば必ず賞賛(私にとっては愛情)をくれる場所」として、私には理解されていました。私は自分の本心を抑圧したまま(と言うよりも本心が分からなくなったまま)、ずっと優等生を演じ、それこそが私だと思い込んでいました。しかしそのような無理は長くは続きません。次第に心に反して体がどうしようもなく言うことを聞かなくなりました。両親に対しても歯向かったことのない私は、学校を休むという選択は考えられず、心身はどんどんひどく荒んでいきました。どんなに私の具合が悪くとも、両親から「休んでみたら?」の一言は、一度もありませんでした。一度だけ「休みたい」と言ったことがありましたが、「癖になるからダメ」と言われて、それで終わりでした。心身の不具合が「怠け」に見えるのでしょう。両親には私の実態が全く見えていなかったと思います。


学校で不安に慄きながら過ごすことや、それまでの自分でなくなっていくということは、非常に大きな恐怖を感じさせました。自分のことが分からなくなるのです。鏡の中の自分を見ても、自分だとは思えない。地面に足がついている気がしない。どこに自分がいるのか分からない。私は歴史年表を見て指さし、今、自分はここに生きているんだと納得させたり、鏡を見てこれが自分なんだと言い聞かせたりしました。どんなことをしても「これが私なんだ」という感覚は全く得られませんでした。


高校を出てからの私の生活は、自分とは?人間とは?社会とは?世界とは?そのような問いへ答えを探し続けるものでした。病気はすぐには快復していきませんでしたが、それでも両親と離れることや、大学は学校ほど不自由ではないため、何とかやっていくことができました。


何をどうすればいいか分からないままに、私は「私を取り戻すための“何か”」を探し求めていました。みんなが通常に学業を修め、就活などをしている時に、私は全く別のことに関心が向かっていました。現在では「便所めし」ということで、一人でいることが恥ずかしいと思う風潮が学生を苦しめているのですが、学生の私は「できるだけ1人にしてくれ」と思っていました。もちろん学食でも1人で食事を済ませ、いつも手に本を持って歩いていました。ここで詳細を語ることは割愛いたしますが、孤独な探求の中で、自分を回復させる方法を少しずつ見つけていき、問いへの自分なりの答えに近づいて行きました。その答えの1つがフリースクールでした。「フリースクールを作ること」、それは私の夢の1つになりました。


学校以外の場があるということは、非常に新鮮で、目から鱗の発見でした。不登校でいろいろな原因探しをすることがありますが、そもそも学校に行きづらい子どもがたくさんいるのなら、そのような子どもたちにあう居場所・学びの場を作ったほうが合理的なのは明らかだと思いました。「コペルニクス的転回」という言葉がありますが、教育の分野においてもそのような逆転的発想は必要だと思います。現在の教育システムそのものが、「システムのための人間」という構造になってしまっており、「人間のためのシステム」という機能を果たしていないように見えます。


念じれば通じるのでしょうか。フリースクールで働いてみませんか?という声をかけていただいたときは、あまりのことに茫然としていました。「三重にフリースクールを作る会(当NPOの旧名称)」の会員に登録していたところ、声をかけていただいたのです。それは私の人生における奇跡の1つでした。三重シューレに来たころには、私の体調はほぼ全快していました。


(つづく)

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