Interviewインタビュー

卒業生の声

ゆうきYUKI

PROFILE
・三重シューレ在籍期間:17歳~20歳
・三重シューレで通信制高校卒業→三重シューレボランティア→就職→三重シューレボランティア→転居・一人暮らし(就職準備中)

17歳で入会…
自己肯定感もギネス級に低かった…
一人暮らしを始めて

「不登校からヘトヘトになり、限界の限界・・・」

INTERVIEW FROM ISHIYAMA TO YUKI

石山

ゆうきくんの三重シューレとの出会い、在籍した年齢を聞いていいですか?

ゆうき

17~20歳まで在籍し、後半3年間で通信制代々木高校の学習をしました。前の高校は、これといった原因は無いけど合わなくて、約1ヶ月で行かなくなり、その年の冬に親が三重シューレを知り、見学に来ました。そして翌年の春、入会しました。

石山

入るまでに少し時間があったんですね。その前の様子を聞かせてください。

ゆうき

中1の梅雨頃から不登校になり、毎週病院に行き夏休みも家にいました。親が学校の先生と話して「別室登校どう?」と言うので、学校に戻らないと、と思い、週2日1回40~50分程行きました。ますます体調を崩し、怖いイメージや不信感ばかりありました。

石山

それは学校に対して?大人ですか?

ゆうき

大人や環境や全て。また行けなくなり約1ヶ月家にいました。夏の終わり頃、親が適応指導教室を見つけて、家族以外が怖くて外に出るだけでヘトヘトだったので車で送ってもらい、車に親がいる状態で、週1~2回約1時間、中1の終わり頃まで行きました。それがもう限界の限界。そのことを親がわかって、もう一つの近くの学校の方が僕に合うのでは?と、そちらに中2で転校しました。でも教室にいる感じがダメだったので、不登校の子と自閉症の子の特別支援クラスに入りました。先生が2~3人いて、クラスの子とも話して、少しずつ外に出られる機会が増え、週2~3回約1~2時間行っていました。

「すごくこだわっていた高校からフリースクール三重シューレへ」

INTERVIEW FROM ISHIYAMA TO YUKI

石山

それは無理をしていなかったのですか?

ゆうき

そんなに。学校が全く違ったから、前ほど不信感、不安感とかは無くて、それが中2の2学期の最後まで続きました。でも、気が合った先生と離れてしまったので、また僕の体調が悪くなって学校も行けなくなり、中2の3学期はほとんど家にいました。中3の1学期、親はそうではなかったけど、僕自身がすごく高校に行かなければとこだわっていたので、こんなにずっと家にいたらダメだと思い、前に通っていた適応指導教室に週1回約1時間行き始め、夏頃からは、受験の為に毎日行って勉強しました。そのときが中学校と適応指導教室を並行させていた頃です。中3の夏、不登校の子にも合う高校のオープンスクールに行きました。親が真剣で、とにかく息子の為に時間を使って調べていました。3~4校行き、その中の1つの高校の推薦をもらって合格し、適応指導教室と特別支援クラスに中学卒業まで行き、4月に高校に入りました。
高校は電車で40~50分で、それまでほとんど電車に乗ったことがないし、行ったことない町だったので相当きつくて。さらに学校がオープンスクールのときと違っていて、あれれ?となって。

石山

そして、その年の12月に三重シューレの見学をしてから入会まで約半年、その間何か考えていたのですか?

ゆうき

半分は、三重シューレが自分に合っているかもしれないという気持ち、もう半分は、前の高校を中退する気持ちもあるけど、あきらめたくないという気持ちです。
地元の友達4~5人とはメールしたり、たまに遊んでいましたが、誰も中退していないし、みんな楽しいという話しかしない。なんで自分だけ楽しくないんだろう、みんな辞めてないから辞められるわけない、と思いました。
三重シューレで安心感はあるけど、学校が無くなることへの不安もあって、最初3~4ヶ月悩みに悩んで春にもう一度三重シューレを見学し、その時ここでいいかなと思いました。

石山

迷いに迷って三重シューレに見学・入会し、代々木高校の学習を始めるまでの時間はどうでしたか?

ゆうき

「ああ、見学の時と一緒なんだ」と(笑)。前の高校のときは詐欺にあったような気持ちで、どこも信用してなかったけど「ここ一緒だ」と思いました。でも初めは慣れなくて、学校と環境が全然違うし、楽しいと思ったこともあったけど、「ん-」という感じ。
見学のとき、自分で決めて自由にしていい、ということに「え、何も指示してくれない、何をすればいいんだろう。」と思いました。最初からずっと最高!という感じではなかったです。

「人生の中で、親が言うことより自分がやりたいことを、初めて言いました」

INTERVIEW FROM ISHIYAMA TO YUKI

石山

今まで、自分で決めるという経験はなかったのですか?

ゆうき

親が学校なども調べ尽くして、最後の決断を「こうする」と言ったことはあるけど、それまでの段階は一度も無かったので、初めは「どうする?え?え?」の連続でした。

石山

どのあたりから自分で決める事や、三重シューレのやり方に慣れてきましたか?自分で決めていると実感しましたか?

ゆうき

それは三重シューレを卒業してからです。子ども会員のときは全く気付きませんでした。行くか行かないか、から始まり、自分で判断することが役立ったのが卒業後の夏くらい。その時はボランティアスタッフをしていましたが、三重県に住むんだから車の免許を取っておかなきゃと思い、自分から勉強しました。

石山

自分の意志ということですね

ゆうき

はい、最初は原付を取ろうとして反対されました。原付は50問テストですが、僕は勉強がめちゃくちゃ苦手で。昔、行っていた塾の先生と、3~4回一緒に勉強してもらって合格しました。原付に乗り始めてから、三重県にいるなら車が必要だな、自転車やバイクは限界があるなと思い、自動車学校に行きたいと親に言いました。最初は「そんな急いで取らなくていいよ。」と言われたけど、初めてそこで「やりたい。」と通しました。

石山

反対を押し切ったわけですね。

ゆうき

人生の中で、親が言うことより自分がやりたいことを、初めて言いました。自分の気持ちを出して。

「もともと自信がなくて自己肯定感もギネス級に低くて(笑)」

INTERVIEW FROM ISHIYAMA TO YUKI

石山

ゆうきくんは4年間在籍し、その後ボランティアスタッフとして、長く関わっていますよね。三重シューレと出会って受けた影響や、考え方で変わった点など、聞かせてもらえますか?

ゆうき

いっぱいありますが…。もともと自信がなくて自己肯定感もギネス級に低くて(笑)世界一低かった自信があります(笑)。免許取るまでも自己肯定感が全然なくて。やっぱり自己決定して、いろいろ体験すると、少しずつ自信が芽生えてきたのかなと思います。三重シューレであまり評価されない環境が、人の目を気にせずいろいろ言えるようになったのかな。

石山

三重シューレは評価されない、評価する場所ではないのですが、一般的には経験できないと思うんです。ここ評価されないなと思ったこと、何か覚えていますか?

ゆうき

子ども会員のとき、1週間くらい来なくても何も思われない。相手の評価を気にせず決めることが大事だと思ったのは、ボランティアを約2年してから仕事を始め、いろいろトラブルがあったとき。最後辞めるときに「来い」と会社から電話で無茶を言われたけど、その人の評価より自分の考えが大事だと思ったから、絶対行きませんでした。それが精神的にいろんな面で助かっています。

石山

会社のトラブルというのは、いわゆるパワハラ、そういう圧がかかる環境だったことですよね。

ゆうき

はい。学校に行けない時に似た、命の中に危機的なものを感じた時に、役に立つというか。以前なら相手は「来い」と言うし、年上の人だし上司だし、足が動かなくても這いつくばっても行かなくては、と思っていました。とにかく相手の評価が気になって仕方なかったし、自分はどうでもよかったから、自分の意見も全くないし。でも今は、自分の命の方を守るようになり最悪の所はまぬがれるようになりました。自分がボロボロになって死んでしまうくらいまで、会社の評価や、相手の評価を気にすると最悪だから。

「自己肯定感が先じゃなくて、自己決定が先です」

INTERVIEW FROM ISHIYAMA TO YUKI

石山

これからどのように歩んで生きていきたいですか?

ゆうき

今までしたことがない事をしたくて、とりあえず一人暮らしをしたいです。最近、あまり次から次へと先のことを考えないようにしています。いろんな事があるから。先のことを考えすぎると、失敗のことを考えてしまうから、考えないでおこうと。

石山

こういう社会になってほしいと、希望はありますか?

ゆうき

日本は自己肯定感が低いです。自己肯定感を大事にすると、政治のことや、自分の生活に関わることに、もっと興味が出てきます。僕がたまに見る、国が発表している子どもの自己肯定感のランキングで日本は最下位です。日本の教育や考え方、上位の国との考えの違いを見ています。やっぱり自己決定がいちばん大事じゃないかな。

石山

自己決定ができる社会。私もそう思います、本心からの自己決定。

ゆうき

免許取った時も、自己肯定感が先じゃなくて、自己決定が先です。
人の評価を気にせず自分が決めていく、それが一番。人に迷惑かけることがあるかもしれないけど。

石山

迷惑かけてもお互い様だと思うし、かけ過ぎたらごめんなさい、そういうのが認められる社会になったらいいと思います。

ゆうき

許してもらえなかったら、そこまでの関係かな。相手が嫌な気持ちになったとき、その気持ちに対してごめんなさいとは思います。でも自分ではこの発言や行動はセーフかなと思っているし、相手も僕を嫌うか好きか選ぶ権利があるから、そこを勝手に相手の所まで入るのは、いけないと思っています。アドラー心理学の課題の分離で。でも嫌だという思いに対しては、「ごめんなさい」とすぐに謝ります。

石山

一方で自分の気持ちは、自分の気持ちってことですね。
ありがとうございました。

※以上のインタビューは、三重シューレ20周年記念誌より

「一年後・・・今、一人暮らしをしています」

INTERVIEW FROM ISHIYAMA TO YUKI

石山

前回のインタビューから約一年経って、実際に一人暮らしを始められてます。家族の反対があったとのことですが、やめようとは思わなかったんですか?

ゆうき

家族の依存から脱却したかったです。もし、僕が本当に依存状態だったら、家にいても何もストレスじゃなかったと思います。

石山

なるほど、そういうことですね。実際に一人暮らしを始めてみて、孤独感とかなかったですか?

ゆうき

初めての街に住んで、誰もいなくて、最初は慣れなくて、居心地が悪くて、出たのになかなか慣れないな~と感じて、数ヶ月は不安もあったけど、何回か実家に戻ったりとかしてて…でも徐々に一人暮らしになれてきたんですね。しかも僕の場合、仕事や進学とか、誰かに言われたからじゃなくて、ほとんど周りは反対の状態で一人で始めたので、自己決定のオンパレード。自信は100%あるかと言われたらそんなことないけど、少しずつなれてきたかな?

石山

前のインタビューではギネス級に自己肯定感が低いと話してましたけど、自分の中で自信が育ってきたということですか?

ゆうき

なのかな?今もまだまだ。不安な時の方が多いかなぐらい。

石山

たとえば就職とセットで新しいところで一人暮らしをしていたら、どうでした?

ゆうき

すごく無理をすることになったんじゃないかな、仕事が最初から乗っかってきたら…本当は、どんどん親が子どもを手放すように見守るようにしなきゃいけないのに、僕の家の場合は、それがほぼゼロみたいな状態なので、経験がとにかくなかった。そう考えたら自分の人生はマイナススタートだったけど。

石山

そのマイナススタートから、その環境を断ち切って一人暮らしをするのはなかなかできないと思いますが?自信はないけど不安は大きい?

ゆうき

前の弁当配達の仕事を始めて、自己決定が増えて自信がついて、ちょっとずつなんか自立みたいな形になった時に、家の考え方がいろいろ違いすぎて、家におるから、まずいんじゃないかと。

石山

自分で決めてきたことの延長なんですね。今の生活をちょっと紹介してもらえますか?

ゆうき

一人暮らし始めて半年以上は、ほとんど外食だったんです。でもお金掛かるし、結構ご飯食べること好きなので。家の中での趣味を見つけたいなって何年か前から思ってて、たまたま簡単な料理のYouTubeとか見て、料理をしてみたら、あれ、なんか楽しいぞと。料理を始めてまだ一ヶ月半ですが、自炊してる時と洗濯してる時が一番なんか忘れてる…まあ没頭できるってことだけど。

石山

忘れるということは?

ゆうき

最終的に一人暮らしして、仕事もして、まあ一人で自立するっていうことです。まだ完全ではないので、それに向けての課題です。一人暮らしをして、食事の準備して、食べてっていうことをやって、じゃあ次は、自分の課題に自分で向き合っていくっていうか、誰にも頼らずに。

石山

頼っていいと思いますが、家族に依存するんじゃなくて、自分で決めて生きていきたいという感じでしょうか?…料理や洗濯に没頭するのは、そのことに向き合わなくていい時間になるということでしょうか?

ゆうき

まあ、僕の場合は、依存的な家庭で育ってきたので、そういう時間が必要なんだと思います。普通の人よりは多分時間がかかってるけど、まあ一歩ずつ。亀よりも遅いスピードかもしれないけど、まあなんとか…いや、今のように生活できてよかったですね。

石山

なるほど、その時間をつくってきたんですね。なんかこれからやりたいこととかってあります?

ゆうき

仕事が多分、次の課題かなと。一人暮らしの不安やわからないことがだいぶ減ったので。

石山

そうなんですね。この前、車の大型免許を取ったのは関係あるんですか?

ゆうき

それは別に仕事につながるかどうか分からないですね。もともと普通免許取った時から取りたかったので。毎回うまくいくかは別として、やったことないことを経験している時が楽しい。

石山

そこは以前の自分だったらどうだったんですか?新しいことをやらなければ失敗はすることはないですし?

ゆうき

自己肯定感がギネス級に低かったので、そもそも自分の事はどうでもよかった。依存的な家族の中にいた時は、家族がまあなんとかしてくれるからと、ずっと思ってたから。自分の人生を生きてなかった時は一切思わなかったけど…

石山

今は、自分の人生を生きてるってことですね。
・・・ありがとうございました。