Interviewインタビュー

保護者の声

佐藤SATO

二人の子どもの
不登校を経験して

「娘の横で先生の授業を受けて・・・学校の現実を目の当たりに」

INTERVIEW FROM ISHIYAMA TO SATO

石山

佐藤さんは二人のお子さんが三重シューレの会員でした。妹さんは小学校4年生の時に入会し、中学出てすぐ通信制高校の学習を三重シューレで始めて、18歳で高卒の資格を取って卒業(退会)されました。
お兄ちゃんは中1になってすぐ三重シューレに来て、20歳に卒業したと思います。今日は妹さんの不登校の時のお話しからしていただけますか。

佐藤

3年生くらいになって朝「行かない行かない」って言って。最初は学校に戻すことが私の役目と思ってたので、私は「行きなさい」、でも本人は「行きたくない」と嫌がってました。それまでも幼稚園からも渋っていて、騙し騙しの状態で。
「行かない」でも「行かなきゃだめ」という押し問答で。「じゃお母さんが行くなら行く」って言うので、私も娘の席の横で一緒に先生の授業を受けたり、校外の授業でどこかに行く、博物館に行くとかにも一緒について行ったりしてたんです。

石山

それは朝から帰りまでですか?教室で一緒に先生の授業を受けられていたんですか?

佐藤

最初のうちは朝からお昼頃までいたり、保健室の先生が困るので別室で待機してたことも。
娘が帰るって言えば一緒に帰るという感じでしたね。
ただ、受けることによっていろんな事が見えてきました。
学校は大変、低学年にも関わらず先生が怒鳴ってみえる、担任の先生はそうじゃなかったですけど、普段そんなこと言うようにお見受けしないような別の先生が怒鳴り散らしてたり、子どもさんにそんな事言う?っていうようなことが耳に入って来て驚いて。だから先生ご自身もすごいストレスをかかえてみえるし、校外について行くことによって、これ先生一人で対応して何かあったら大変だなっていうことも、目の当たりにして違う意味でいい勉強になったんです。

石山

学校で子どもと同じ体験をされたんですね。本当の現実を見られた…

佐藤

穏やかにというのとは全く違う。だから子どもが嫌がるのもちょっとわかる…あんな怒られ方すると、当人じゃなくても感受性の強いお子さんはびっくりする。小っちゃい子どもさん相手に先生そんな、って思うことが。

「もう、お母さんがついて来ても行かないからね・・・そして兄妹で行かないことに」

INTERVIEW FROM ISHIYAMA TO SATO

石山

お母さんは娘さんの学校に一緒に行く中でご自身の対応が変わってくるわけですか?

佐藤

ある日、娘が「もう、お母さんがついて来ても行かないからね」と言い切ったので、先生のそういう諸事情もわかっていたので、もうそこまでして本人が言ってるんならいいかって覚悟が決まりました。3か月後くらいだったのかな。

石山

その後、おうちにいる時には不安とかなかったですか?

佐藤

やっぱり勉強が遅れていくんじゃないかというのがまず第一番。それと誰も遊び相手がいなかったので、退屈するだろうし、かと言って私がずっとつきっきりで遊ぶわけにもいかないし。でもやっぱり学力が一番心配でした。

石山

対応されたこととかありました?

佐藤

塾は多分嫌がるかなっていうのと、多分本人も嫌がってたのかな。基礎を教える個人の塾で…見学には行ったんですが、結局本人が行かないって言うので見学だけで終わっちゃいました。

石山

お兄ちゃんの方は、どのくらい後に行かなくなるんでしょうか。

佐藤

息子も幼稚園の頃からずっと渋ってたんですが、お尻を叩けば嫌々6年生まで行ってました。先生がすぐ怒鳴り散らして、なんかあれはおかしい、と言い始めたのが多分小学校6年生。中学では初めにちょっとだけ行って、もう自分で見切って、あれも先生がおかしいって。あと制服、なんでこんなの着なきゃならないの、って言ってました。

石山

下の娘さんの時みたいに行かなきゃいけないという対応でしたか?受け入れられた感じですか?

佐藤

本人が少し行って「もう行かない」って言うので、ついに息子もかっていう感じですよね。(笑)多分渋ってたのを無理やり行かせてましたし、ああついに来たか、くらいの感じです。娘はOKなのに息子には行けとも言えないし、覚悟が娘の時に決まって、また来たかの覚悟ができてたんでしょうね、きっと。

石山

こっちの子だけでも行ってほしいと思うのではなく、逆に覚悟ができていたわけですね。

「おじいちゃんがあらゆる手段で母親の考えを変えようと・・・」

INTERVIEW FROM ISHIYAMA TO SATO

佐藤

ただ、同居のおじいちゃん(夫の父)が娘は許しても、息子はもうやっぱり。
男・女というのがあるんでしょうね。娘は女の子で仕方ないけど、息子は行かせやなあかん、と。私が覚悟はできてたんで、おじいちゃんには「いいんです」って。
でも、あらゆる手段で私の意見を変えさせようと、民生委員を呼んで来たり、身内の教師を説得に使ったり、校長先生に頼み込みに行ったり。
ただ、もう覚悟はできてたので皆さんに、私が責任取るので行かせないんです、ということを伝えました。もともとそういう自分の意見を通したいっていうおじいちゃんだったので、あらゆる手段使ってしばらく言ってくるんだろうな、と。

石山

大変だったんではないですか?

佐藤

うちはその強烈なおじいちゃんだけだったので。夫は仕事にいくので私に任せてくれてたのと、夫の母や私の実家の方はとやかく言ってこないで私に任せるからっていう。
束で来られると大変ですけど、民生委員の方とかは他人なので、強制的にはそんなに無かったんですが。おじいちゃんさえ何とかすればっていうのがあったのかな。

石山

なるほど、他人は大丈夫と。
逆に義理のおじいさんに望まれている嫁をやらなきゃって葛藤されている方も多いと思います。

「子どもに行け行けと言ってたのは、娘や息子の為じゃなくて自分の為だった」

INTERVIEW FROM ISHIYAMA TO SATO

石山

お子さんとの向き合い方で大切にされてきたことはありますか?

佐藤

結局子どもに行け行けと言ってたのは、子どもの為じゃなくて自分の為、というのがわかったんですよね。「行け行け」「勉強遅れるし友達ができなくなるし」と言ってたけど、私の世間体で言ってた。本人たちは「行きたくない」って言ってる。それを尊重せずに自分の不安からくる考えを押し付けてた。だから申し訳なかったなあ、って。

石山

そうなんですね。当初は勉強のことを心配されていたとのことですが、お子さんが成長して生きていけるんだっていう信頼はありましたか?それともいつも不安だったんでしょうか?

佐藤

最初はやっぱり不安でした。学校行かなくて勉強できないから、社会に出ていけるの?とか、ずっと先もどうするんだろうって。学歴社会で生きてきたようなもんだから。
でも、息子や娘より、もうちょっと上の方をたまたま別のフリースペースで見てたんです。あの子たちは、かえって自分自身の意見をしっかり持ってて安心というか、全然普通って言ったら変なんですけど、大人になっていけるし大丈夫じゃないって。
あと「不登校新聞」見て、なんか大丈夫なのかなって。勉強は遅れていくかもしれないし友達も少ないかもしれないけど、本人が元気に行ってたら勉強したくなったらするだろう。と、少しずつ思えるようになってきた。本当に徐々に徐々に。保護者会で一緒にお話ししてると、うちだけじゃないんだっていう安心感も大きかったですね。

「学校との関係は?」

INTERVIEW FROM ISHIYAMA TO SATO

石山

あと現実的なことをお聞きしたいんですけど、在籍している中学校や小学校との関係はどうだったんでしょうか。

佐藤

娘の時はしょっちゅう家庭訪問に来てくださる先生で。
「お忙しいから、もういいです」って言われても来られる方もみえれば、「もういいです」ってお断りすると定期的にちょこちょこと来るくらいの先生も、やっぱり先生によって対応が違うかなって。中学校はもう全然。もう来ていただかなくてもという感じだったので、あの逆に私の方が行くっていうか、何かの連絡があれば私が伺いますというので、伺ってましたね。

石山

通知表はどうだったんでしょうか?

佐藤

通知表は最初から1です。オール1で。

石山

空欄ではなくて1がつく。通知の内容がわかっていて、それを取りに行くことになるわけですね。

佐藤

そうですね。通学定期(フリースクールが学校の出席扱いになると購入できる)のことがあったので、そのお願いがあったりとかで。
おかげさまで小中の先生ご理解があって、その子どもさんが行きたいっていうことであればっていうとこころよく。どうも四日市市でも三重県でもフリースクールの出席扱いは初だったんですが、全然なかったにも関わらず、どちらの先生もおかげさまで。

石山

多分、初めてだったと思います。それ以降、今のところ100%出席扱いですね。

「仕事はできるの?」

INTERVIEW FROM ISHIYAMA TO SATO

石山

二人のお子さんたちを見て、不登校したことの影響や今につながってると感じることはありますか?

佐藤

学校へ行かないから仕事も続かないのかなって勝手に思ってたんです。娘は国民年金を払わなきゃっていうのでバイトを始めて、続くのかなって思ってたんですが、まじめに遅刻もせずに、ただ「仕事に慣れるまでは大変や、嫌やな」とも言ってました。学校に行かなくてもやっぱり自分がきちんと決めたことがあれば、嫌でも行くんだというのがありました。
息子も多分サラリーマンには向かないのかな、決まった時間にっていうのは多分拒否するのかなとは思ってたんですが、バイトは決まった時間、朝に行って夕方や夜に帰る仕事だったんです。やっぱり嫌な時もあったみたいですが、続けてずっと行ってるので、それがちょっとびっくりしましたね。学校行かないから仕事も真面目に続かないのかなと思いきや、やっぱりある程度大人になってきたっていうのもあるのかな。

石山

お二人ともお仕事変えてないですね。いろいろな働き方があると思いますが、途中からお二人とも正社員としてやられてますね。妹さんはご結婚されて。

佐藤

息子は中卒でそんなんで仕事できてくの?と思ってたのが、ずっと続けてて、必要があれば資格を取りに行ってるので、大丈夫なんやなあって驚きました。その時自分なりにしなきゃならないことは判断してやっていくんだな、と。

「子どもさんの前にまず自分を」

INTERVIEW FROM ISHIYAMA TO SATO

石山

今も、どうしても学校に行かせなきゃと思ってる保護者の方も本当に多いように思うのですが…その保護者の方にお伝えしたいことありますか?

佐藤

一回ご自身を客観的に見てみる、子どもの為を思っているようで、実は自分の思いを結局子どもに押し付けてる、本当に子どものことなのかというのを。子どもさんの前にまず自分を一回見つめ直すっていうことが大切なことなのかな。
「行きたくない」って言ってるにも関わらず、「行きな」って言って聞いてなかった。本当に嫌がってた子どもを無理やり行かせなきゃっていう感じですよね。

石山

佐藤さんのお話を聴いて、お子さんとの向き合い方をもう一度考えようという方も多いと思います。

佐藤

でも、たまたまラッキーな流れにのって三重シューレにも通うことになり、タイミングよく周りの人に助けてもらいながら。自分ひとりだったら本当にかかえきれない。どうしたらいいんやろ、学校へ戻さなきゃ、だったんでしょうけど、いろんな同じような不登校の親御さんやお子さんの姿を見せてもらって、石山さんとフリースクールを立ち上げようという方の輪の中に入れていただいたおかげで自分だけの考えで終わらずに、視野を広げられたっていうのも多分大きかったなって。

石山

私も佐藤さんや親の方々とご一緒に活動を広げられて本当に幸運でした。東京から引っ越してきたときは、知り合いは誰もいませんでしたし、何より親の方々の思いと声を三重シューレの立ち上げ時から地域社会に届けられることは大きな説得力になりました。
本日はご経験されてきたお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。